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2013年10月 4日 (金)

17歳のエンディングノート

17歳のエンディングノート
劇場:京都シネマ
監督・脚本:オル・パーカー
音楽:ダスティン・オハローラン
出演:ダコタ・ファニング、ジェレミー・アーヴァイン、パディ・コンシダイン、オリヴィア・ウィリアムズ、カヤ・スコデラーリオ 他


 《素晴らしい成長を遂げた天才子役による青春感動作》


 「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」の脚本家、オル・パーカーがベストセラー小説を、「アイ・アム・サム」のダコタ・ファニング主演で映画化した青春ストーリー。


 白血病で大人になるまで生きられないと医者に宣告された16歳の少女・テッサ(ダコタ・ファニング)は、自分が何者にもなれないと知り、自宅で引きこもり生活を送っていた。


 会社を辞めて治療法探しにのめり込む父親(パディ・コンシダイン)と、現実を受け止められず看病できない母親(オリヴィア・ウィリアムズ)、「死んだら僕にとり憑く?」と本気で怯える弟を前に、「なんで私より弱いの!」とキレながらも、どうすれば生きている実感を得られるのか考えていた…。


 17歳になり、いよいよ「その時」が近いことを知ったテッサは、親友のゾーイ(カヤ・スコデラーリオ)を呼び出し、残り9ヵ月で一生分の経験をするための「TO DO リスト」を作り上げる。「S○X」や「DR○G」など危険な事柄に満ちたリストだったが、「恋をする」だけは無かった。未来に目を向けることなく、今この瞬間を限界まで生きるつもりだった。


 ところが隣の家に越してきた、若いくせにガーデニングが趣味のアダム(ジェレミー・アーヴァイン)をどうしようもなく好きになってしまう。事故で夫を亡くしその喪失から立ち直れない母親の面倒を、大学を休学して見ているアダムは、これまで会ったこともない種類の男の子だった。


 しかし、テッサのそんな気持ちを知って父親は大反対、親友のゾーイまでがルール違反だと良い顔をしない中、アダムはテッサを外の世界に連れ出していく…。


 難病もののドラマや映画は、話が湿っぽくなりがちだが、最近は「50/50」(2011年・米 ジョナサン・レヴィン監督/ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演)や、「私だけのハッピー・エンディング」(2011年・米 ニコール・カッセル監督/ケイト・ハドソン主演)など、主人公が病気や死に対して前向きに考え、生きようとするものが多い。


 本作もその1つなのだが、本作の場合は序盤で逃れようのない“死”が示唆されるため、話がどう転んでも最終的にはバッドエンドになるのは、分かり切ってしまうのだ。だが、映画は冒頭部分で主人公が街を駆け抜ける姿がアニメーションに変化するところから、全く暗い雰囲気を見せない。


 娘の死という現実から目を背けようとする親の気持ちも分からなくはないが、こういう存在があるからこそ、主人公がその死を正面から受け止め、それでも必死に明るく生きようとする姿が浮き彫りになるのだ。死ぬ迄にやっておきたいもののリストは、いかにも現代の若者らしいクレイジーなものだが、ある男性に一目惚れしたことで、ガラリと変わり、輝きを増す。この多感で繊細な少女をダコタ・ファニングが演じているのだが、やはりこの人は上手い。


 彼女ももう19歳なので、そろそろ大人の役に脱皮しなければならない難しい時期なのだが、やはりこれだけの技量があれば、あまり変な役を演じずに(例えばヌードなど)上手く大人の役者に成長できるかもしれない。いずれはアカデミー賞も狙える女優になるかも。妹のエルも演技達者だから、昔のオリヴィア・デハヴィランドとジョーン・フォンテインみたいに、姉妹でアカデミー賞を取り合うようになったら面白いね(姉妹で受賞しているのはオとジョーンだけ)。姉妹間の確執だけは真似してほしくないけどね(笑)。


私の評価…☆☆☆★

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