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2013年10月

2013年10月30日 (水)

エリジウム

エリジウム
劇場:TOHOシネマズ二条
監督:ニール・ブロムカンプ
音楽:ライアン・エイモン
出演:マット・デイモン、ジョディ・フォスター、シャルート・コプリー、ヴァグネル・モーラ、アリシー・ブラガ、カーリー・ポープ 他


 《格差社会を風刺している点はいいのだが》


 高評価だった「第9地区」の監督が描く、荒廃してしまった地球とエリジウムと呼ばれるスペースコロニーを舞台とするSF映画。


2154年、人類はスペースコロニー「エリジウム」に住む富裕層と、荒廃した地球に住む貧困層とに二分化されていた。エリジウムにはどんな不治の病も一瞬で完治する特殊な再生装置が存在し、人々は死の恐怖と無縁の人生を謳歌していた。地球に住む人々の頭上の空には、そんなエリジウムが幽かに浮かんでいる。手を伸ばせば届きそうなのに、決して辿り着けない場所だった。


エリジウム防衛省長官のデラコート(ジョディ・フォスター)はエリジウムの完璧なまでに美しい生活を維持するために、地球からの「移民」を禁じ、密入国者を一切排除していたのだ。地球に住むマックス(マット・デイモン)は、過酷な工場労働に従事していたが、事故で大量の照射線を浴び余命はあと5日間という非情な宣告を受けていた。


生きたい!その強い思いから「永遠の命」を手に入れるべくエリジウム行きを決断。だが、エリジウムへ行ける唯一の方法は、レジスタンス軍の兵士として、ある任務を遂行することだった。自らの身体にエリジウムを支配できるデータ内蔵のコンピュータを埋め込み、命の危険に晒されながら、完璧に防御されているエリジウムへ向かうマックス。そこで彼に課されたのは、切なすぎる残酷な選択だった。


この映画はアメリカ映画ということで、基本的に英語が喋られているのだが、所々で違う言語が入ってくる。例えば荒廃した地球に住む人間からはイタリア訛りのスペイン語が、エリジウムの住人からは英語に混じってフランス語がといった具合だ。前にも書いたように最近のアメリカ映画は、格差社会を描くものが多くなっているが、ここで描かれるのもアメリカとイタリアの経済格差なのである。


タイトルの“エリジウム”とはギリシャ神話からきている言葉なので、この意味さえ分かっていれば、その場所に行こうとする主人公の運命はある程度想像がつくのだが、少々強引な展開があり、雑な感じが否めない。


今回初めてジョディ・フォスターが悪役で出演しているのだが、この悪役の描かれ方が何とも中途半端。まぁ、勧善懲悪にするつもりは無かったのかもしれないが、だったらなぜデラコートは、地球からの移民を頑なに拒否するのか、ということを、もう少し明確に描くべきで、そこがしっかり描けていれば、少しはマシなものになっていたかもしれない。せっかく映像は美麗だったのに、ストーリーはあまり面白いといえるものではなかったのは残念。


私の評価…☆☆☆

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2013年10月19日 (土)

ウォーム・ボディーズ

ウォーム・ボディーズ
劇場:TOHOシネマズ二条
監督・脚本:ジョナサン・レヴィン
原作:アイザック・マリオン「ウォーム・ボディーズ ゾンビRの物語」
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ニコラス・ホルト、テリーサ・パーマー、ジョン・マルコヴィッチ、デイヴ・フランコ、アナリー・ティプトン、コリー・ハードリクト、ロブ・コードリー 他


 《ゾンビ版“ロミオとジュリエット”》


 「50/50 フィフティ・フィフティ」のジョナサン・レヴィン監督による、ゾンビ映画であり、恋愛コメディ映画である。


 ゾンビとニンゲンが敵対する近未来。ゾンビ男子「R」(ニコラス・ホルト)は、ある日、襲撃するはずのニンゲン女子・ジュリー(テリーサ・パーマー)に一目惚れ、助けてしまう。最初は恐れをなし、徹底的に拒絶していたジュリーも、Rの不器用全開な純粋さに次第に心を開きはじめる。出会ってはいけなかった、けれど、うっかり出会ってしまった二人の恋。それは、最終型ゾンビの「ガイコツ」軍団、そしてニンゲンたちのリーダーでもあるジュリーの父親にとっても許されるものではなかった!


 彼らの恋は、ゾンビの死に絶えた「冷たい」ハートを打ち鳴らすことができるのか? そして、終わりかけている世界に、もう一度「温かな」希望を蘇らせる事ができるのか…?


 ゾンビ映画といえば、金字塔と呼ばれる「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」や「バイオハザード」などのように、終末映画の代表格で、社会批判等も織り交ぜて描かれるのが普通なのだが、この映画はそんなゾンビ映画とは一味も二味も違うものである。ゾンビが本来襲うべき人間に恋してしまう、究極ともいうべき“異形の愛”だ。


 これを書いている時点で一部の映画館では上映が終わっており(遅くてスイマセン)、もう観た人は感づいているかも知れないが、この映画のベースは、主役2人の名前が示すとおりあの「ロミオとジュリエット」である。


 ただ、当然それをそのまま置き換えて描いているわけではない。ここで描かれるゾンビは今までのゾンビ映画に照らし合わせていえば、ゾンビになって間がないもので、まだ人間の時の記憶が微かに残っていて、それが完全に無くなると狂暴なガイコツになるというもの。そうはなりたくないという意志が、後半でとんでもない奇跡を起こすのだ。自分もゾンビ映画はよく観るのだが、こんなに面白いゾンビ映画は初めてだ。


 ちょっと頼りなさげな青年ゾンビ「R」役のニコラス・ホルトや、おっさんゾンビ(「M」ということは「ロミオと〜」のマキューシオにあたるのかな)のロブ・コードリーが、いい味出している。告白をうまく伝えられない「R」が、アメリカン・オールディーズな曲のレコードで、ジュリーの気をひき、懸命に思いを伝えようとする場面は見物だ。


 「50/50」もそうだったが、やっぱり1つのテーマがしっかり描けているコメディは、観ていて面白い。この映画は一応ゾンビ映画だが、グロい場面は全くといっていいほど無いので、ホラー映画嫌いな人でも、多分問題なく観られる映画だと思う。


私の評価…☆☆☆☆

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2013年10月14日 (月)

マン・オブ・スティール 3D

マン・オブ・スティール 3D
マン・オブ・スティール 3D
マン・オブ・スティール 3D
劇場:MOVIX京都
監督:ザック・スナイダー
音楽:ハンス・ジマー
出演(吹替版声優 ※判明しているもののみ):ヘンリー・カヴィル(星野貴紀)、エイミー・アダムス(中村千絵)、マイケル・シャノン(広瀬彰勇)、ケビン・コスナー(津嘉山正種)、ダイアン・レイン(塩田朋子)、ローレンス・フィッシュバーン(石塚運昇)、アンチュ・トラウェ(田中敦子)、ハリー・J・レニックス(石住昭彦)、クリストファー・メローニ(てらそままさき)、リチャード・シフ(中博史)、マッケンジー・グレイ(多田野曜平)、マイケル・ケリー(松山鷹志)、アイェレット・ゾラー(泉裕子)、ラッセル・クロウ(井上和彦) 他


 《こんなにダークなスーパーマンは、あまり観たくないような…》


 マーベルコミックと並ぶ、アメリカの人気コミック「DCコミック」のヒーロー、スーパーマンを描いた映画で、1978年から続く映画シリーズをリブートしたもの。


 幼い頃から超人的な力を持つ少年、クラーク・ケント(ヘンリー・カヴィル)。彼は親(ケビン・コスナー、ダイアン・レイン)との約束でその特別な力を封印し、孤独な少年時代を過ごした。


 成長し、クラークを守ろうとして亡くなった父の「使命を突き止めろ」という教えに導かれて放浪の旅に出た彼は、遂に自分の真実を知ることになる…。


 爆発寸前の惑星「クリプトン」で、実の父(ラッセル・クロウ)が生まれたばかりの彼「カル=エル」を地球へ送り出したのだ。己の正体に葛藤するクラーク。しかしその時、「クリプトン」唯一の生き残りであるゾッド将軍(マイケル・シャノン)と反乱軍がクラークが地球にいることを突き止める。


 それは、人類の存亡を賭けた闘いが始まることを意味していた…。


 この映画、本来は一度リブートして作った「スーパーマン・リターンズ」(2006年)の続編企画だったが、「〜リターンズ」は大ヒットしたものの配給収入が配給会社の予想を下回ったことや、脚本家組合のストライキで続編製作が大幅に遅れる等のトラブルが相次ぎ一旦中止に追い込まれた。その後、紆余曲折を経て再リブートされたのが本作ということになる。そして同時に現在、DCコミックもマーベルコミック同様ヒーロー大集合ものの「ジャスティスリーグ」の映画化に取りかかっており、本作はその足掛かりとなるものである。


 「スーパーマン」といえば、これまで何度も映画やTVで映像化されてきたが、一番よく知られているのは1978年のリチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演による映画版だろう。スーパーマンの活躍をロマンティシズムたっぷりに描いた、その映画は大ヒットし、シリーズ化され4作まで作られた。今回の映画はそのシリーズとは全く違った趣の物になっている。


 確かに破壊力抜群のアクションは、画的に迫力あるし、SFアクション映画としては合格点なのだが、果たしてそれでいいのか? 自分達の種族か人間のどちらを救うのか、滅ぼすのかという究極の選択に悩んだ末の答えとはいえ、あんな“破壊神”になることはないだろうに(笑)。あのスーパーマンの姿を観ていると、もう旧シリーズのような世界観は通用しなくなったのかと、ちょっと寂しい思いがした。旧作のマーゴット・キダーやケイト・ボスワースに比べれば少々オバちゃん臭くなった、エイミー・アダムス扮するロイスだが、それでも優雅に楽しく一緒に飛ぶシーンを観てみたいものである。


私の評価…☆☆☆

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2013年10月10日 (木)

〈新・午前十時の映画祭〉慕情

〈新・午前十時の映画祭〉慕情
劇場:TOHOシネマズ二条
監督:ヘンリー・キング
原作:ハン・スーイン「多くの輝きを持つもの」
音楽:アルフレッド・ニューマン
主題歌:サミー・フェイン作曲「Love is a Many Splendored Thing」
出演:ジェニファー・ジョーンズ、ウィリアム・ホールデン、イソベル・エルソム、ジョージャ・カートライト、トリン・サッチャー、マーレイ・マシソン、ヴァージニア・グレッグ、リチャード・ルー、ソー・ヨン、カム・トン、フィリップ・アーン、ドナ・マーテル、キャンディス・リー、ジェームズ・ホン、ケイ・ルーク 他

※写真は東京でのリバイバル上映時のチラシ


 《ストーリーよりも曲が有名なメロドラマの傑作》


 1952年に刊行されベストセラーになった、ハン・スーインの自伝小説を、1955年に映画化したメロドラマの名作。


 中国人とイギリス人(実際は中国人とベルギー人)のハーフで女医のハン・スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)は、国民政府の将軍の夫人だったが、将軍が共産党との戦いで戦死してからは、香港病院で働いていた。ある日、病院の理事長の家でカクテル・パーティが開かれたとき、彼女はアメリカの従軍記者マーク・エリオット(ウィリアム・ホールデン)と知り合った。マークにはシンガポールに妻がいるが、性格が合わないとでもいうのであろうか、夫婦仲は冷たかった。初めはスーインもマークと深入りしないように警戒していたが、何となく彼が好ましくマークが仕事のためシンガポールに出かけたときなど、いい知れない淋しさに襲われるのだった。やがて、海へ遊びに行ってから、2人は完全な恋人同士になっていた。マークは妻と正式に離婚して、スーインと結婚すると誓った。だが彼の妻は離婚に同意しなかった。スーインはそれを聞いて、マークを優しく労るのだった。その後、マークがマカオに出張すると、スーインは理事長(トリン・サッチャー)の反対を押し切ってマカオに向かった。2人の楽しい週末もほんのひとときに過ぎない。朝鮮に戦争が起こったためマークは現地へ急行しなければならなかったからである。スーインは理事長に逆らってマカオに行ったことから、病院に勤めることができなくなり、友達のノラ(ソー・ヨン)の家に寄寓することになった。彼女は毎日マークに手紙を書き、また彼からの便りを読んで淋しさを紛らわしていたが、ある日マークは共産軍の爆撃で帰らぬ人となってしまう…。


 恐らく映画の内容は知らなくても、劇中アレンジを変えながら頻繁に流れるテーマ曲は誰もが一度は聴いたことがあるであろう、映画音楽のスタンダード・ナンバーだ。第29回アカデミー賞歌曲賞を受賞しているこの曲は、オペラ「蝶々夫人」の中のアリア「ある晴れた日に」を参考に作られたのだが、なるほどよく聴いてみれば、そっくりとまではいかないが、メロディーがよく似ている。映画のストーリーも中国版「蝶々夫人」ともいえるものなので、ストーリーだけを取り上げてみれば平凡なこの映画を盛り上げるのに一役かっている。


 男女の恋愛は、壁やハードルが高ければ高いほど話として面白いし、盛り上がるものである。もっとも最近のそういったドラマや映画はその上に手枷足枷つけ過ぎる感はあるのだが、この映画の場合、今の観点からいえば、そういったものが少ない。相手の男が結果として不倫になるだけである。勿論、この映画の時代背景を考えれば、日本でもそうなのだが、昔はハーフのことを混血児などと言って、あまり良いイメージを持たれなかったのである。この映画の中でもヒロインのことを差別的に捉える場面があるのだが、たぶん今の若い人が観ても、このあたりはピンとこないという人も多いのではないか。


 ちなみに本作のヒロインは東洋系のハーフという設定なのだが、ジェニファー・ジョーンズはアメリカ人女優であり、美人の女優さんだがちっとも東洋系に見えない(笑)。どういう人選で選ばれたのか、もう亡くなられているので(2009年に老衰で死去 満90歳)今となっては分からないが、東洋系をルーツに持つ女優が、当時はあまりいなかったのだろう。


私の評価…☆☆☆★

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2013年10月 9日 (水)

ウルヴァリン:SAMURAI 3D

ウルウ゛ァリン:SAMURAI<br />
  3D
ウルウ゛ァリン:SAMURAI<br />
  3D
ウルウ゛ァリン:SAMURAI<br />
  3D
劇場:TOHOシネマズ二条
監督:ジェームズ・マンゴールド
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演(吹替版声優 ※判明しているもののみ):ヒュー・ジャックマン(山路和弘)、TAO(同)、福島リラ(同)、真田広之(同)、スヴェトラーナ・コドチェンコワ(甲斐田裕子)、ブライアン・ティー(飛田展男)、ハル・ヤマノウチ(坂口芳貞)、ウィル・ユン・リー(内田夕夜)、山村憲之介(同)、ファムケ・ヤンセン(日野由利加)、イアン・マッケラン(家弓家正)、パトリック・スチュワート(大木民夫) 他


 《一連のシリーズとは、別物?》


 アメコミ原作の人気実写映画、「X-MEN」シリーズの6作目で、ウルヴァリンを中心に描くスピンオフの2作目。但し前作「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の直接的な続編ではない。


 カナダで隠遁生活を送っていたウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)が、かつて命を救った旧友、大物実業家の矢志田(ハル・ヤマノウチ)に請われて日本を訪れた。


 しかし東京での再開後まもなく、病魔に冒された矢志田は死亡。その葬儀に参列したウルヴァリンは、組織に襲われた矢志田の美しい孫娘マリコ(TAO)を救い、逃避行の最中に恋に落ちる。


 そして何者かの罠にはまって治癒能力を失ったウルヴァリンは、心身に凄まじいダメージを負い、初めて「限りある命」を意識することに。


 拉致されたマリコの救出に向かった満身創痍のウルヴァリンは、遂に日本でその命を落とすのか…?


 久々にハリウッドが描く“変なニッポン”を見た(笑)。まさかこのシリーズで、こういう物を観ることになるとは思わなかったが、マンガ原作というものは、それそのものがファンタジーなのだから、ある程度許せるというものなのだろう。


 ストーリーそのものは、僕は荒唐無稽なアクションものは結構好きなので楽しめたが、日本人キャストの扱われ方が少し中途半端なのが気になった。日本人でさえ、あまり知られているとはいえない福島リラやTAOはまだ良いにしても、真田広之のキャラが薄すぎる。彼の日米でのキャリアや人気を考えれば、マグニートーのような大悪役にしたって構わないし、少なくとも途中で倒されるような扱われ方はしなくてもよかったのではないかと思った。


 2人の日本人ヒロインはなかなか頑張っていて、特に福島リラは今後アクション女優として使えるんじゃないかと思っているのだが、こういっては失礼だがあまり美人とは言えず、ハリウッドと日本とでは、こうも美的感覚が違うものなのかと言うことを感じさせると共に、やはり西洋人にとっての東洋は、それそのものがファンタジーなのだなということを感じさせた。


 ちなみにシリーズ次回作は、本シリーズの出演メンバーと、“ファースト・ジェネレーション”の出演メンバーが一堂に会する「X−MEN:デイズ・オブ・フューチャー・パスト」(全米来年7月公開予定)になるのだが、その伏線を匂わせる場面がラストに用意されているので、お見逃しなく。


私の評価…☆☆☆

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2013年10月 4日 (金)

17歳のエンディングノート

17歳のエンディングノート
劇場:京都シネマ
監督・脚本:オル・パーカー
音楽:ダスティン・オハローラン
出演:ダコタ・ファニング、ジェレミー・アーヴァイン、パディ・コンシダイン、オリヴィア・ウィリアムズ、カヤ・スコデラーリオ 他


 《素晴らしい成長を遂げた天才子役による青春感動作》


 「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」の脚本家、オル・パーカーがベストセラー小説を、「アイ・アム・サム」のダコタ・ファニング主演で映画化した青春ストーリー。


 白血病で大人になるまで生きられないと医者に宣告された16歳の少女・テッサ(ダコタ・ファニング)は、自分が何者にもなれないと知り、自宅で引きこもり生活を送っていた。


 会社を辞めて治療法探しにのめり込む父親(パディ・コンシダイン)と、現実を受け止められず看病できない母親(オリヴィア・ウィリアムズ)、「死んだら僕にとり憑く?」と本気で怯える弟を前に、「なんで私より弱いの!」とキレながらも、どうすれば生きている実感を得られるのか考えていた…。


 17歳になり、いよいよ「その時」が近いことを知ったテッサは、親友のゾーイ(カヤ・スコデラーリオ)を呼び出し、残り9ヵ月で一生分の経験をするための「TO DO リスト」を作り上げる。「S○X」や「DR○G」など危険な事柄に満ちたリストだったが、「恋をする」だけは無かった。未来に目を向けることなく、今この瞬間を限界まで生きるつもりだった。


 ところが隣の家に越してきた、若いくせにガーデニングが趣味のアダム(ジェレミー・アーヴァイン)をどうしようもなく好きになってしまう。事故で夫を亡くしその喪失から立ち直れない母親の面倒を、大学を休学して見ているアダムは、これまで会ったこともない種類の男の子だった。


 しかし、テッサのそんな気持ちを知って父親は大反対、親友のゾーイまでがルール違反だと良い顔をしない中、アダムはテッサを外の世界に連れ出していく…。


 難病もののドラマや映画は、話が湿っぽくなりがちだが、最近は「50/50」(2011年・米 ジョナサン・レヴィン監督/ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演)や、「私だけのハッピー・エンディング」(2011年・米 ニコール・カッセル監督/ケイト・ハドソン主演)など、主人公が病気や死に対して前向きに考え、生きようとするものが多い。


 本作もその1つなのだが、本作の場合は序盤で逃れようのない“死”が示唆されるため、話がどう転んでも最終的にはバッドエンドになるのは、分かり切ってしまうのだ。だが、映画は冒頭部分で主人公が街を駆け抜ける姿がアニメーションに変化するところから、全く暗い雰囲気を見せない。


 娘の死という現実から目を背けようとする親の気持ちも分からなくはないが、こういう存在があるからこそ、主人公がその死を正面から受け止め、それでも必死に明るく生きようとする姿が浮き彫りになるのだ。死ぬ迄にやっておきたいもののリストは、いかにも現代の若者らしいクレイジーなものだが、ある男性に一目惚れしたことで、ガラリと変わり、輝きを増す。この多感で繊細な少女をダコタ・ファニングが演じているのだが、やはりこの人は上手い。


 彼女ももう19歳なので、そろそろ大人の役に脱皮しなければならない難しい時期なのだが、やはりこれだけの技量があれば、あまり変な役を演じずに(例えばヌードなど)上手く大人の役者に成長できるかもしれない。いずれはアカデミー賞も狙える女優になるかも。妹のエルも演技達者だから、昔のオリヴィア・デハヴィランドとジョーン・フォンテインみたいに、姉妹でアカデミー賞を取り合うようになったら面白いね(姉妹で受賞しているのはオとジョーンだけ)。姉妹間の確執だけは真似してほしくないけどね(笑)。


私の評価…☆☆☆★

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2013年10月 3日 (木)

許されざる者(日本版)

許されざる者(日本版)
許されざる者(日本版)
許されざる者(日本版)
劇場:TOHOシネマズ二条
監督:李相日
原作:ワーナー・ブラザース製作映画「Unforgiven」(邦題「許されざる者」)
音楽:岩代太郎
出演:渡辺謙、柄本明、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子、近藤芳正、國村隼、滝藤賢一、小澤征悦、三浦貴大、佐藤浩市 他


 《リメイクとしては成功の部類で、骨太な秀作》


 1992年にクリント・イーストウッドが監督・主演したハリウッド製西部劇「許されざる者」を、日本映画でリメイク。日本映画がハリウッド・リメイクされるのはよくあるが、その逆は珍しい。しかも、アカデミー賞受賞作が日本でリメイクされるのは初めてである。


 1880年、明治維新期の北海道。幕府軍の残党で、かつて「人斬り十兵衛」と恐れられた男(渡辺謙)が、愛する妻と出会ったことで、ようやく見つけた違う生き方。二度と刀は抜かない。それが妻との約束。しかし、妻亡き後、最北の地で幼い子供たちと極貧の生活を送るなか、昔の仲間(柄本明)が「賞金首」の話を持ってやって来る。客にズタズタに切り刻まれた女郎(忽那汐里)が、相手の男たちに賞金を懸け、敵を討ってほしいと懇願しているというのだ。


 「一緒に来てくれるだけでいい」…旧友の誘いに応じたのは、子供たちのため。しかし、その瞬間から運命は動き出す。越えてはならない一線に向かって…。


 彼らの前に立ちはだかったのは、町を治める絶対的な支配者(佐藤浩市)。賞金稼ぎに来た者たちを追い払おうとする強固な意志は、残忍な暴力となって、人斬りの過去を持つ十兵衛に襲いかかる。それでも刀の封印は解かないつもりだった。ある決定的な出来事が起こるまでは…。


 子を思うとはかくも切ないものなのか。女たちの誇りとはかくも気高く残酷なものなのか。友を弔うとはかくも凄まじい所業なのか…。


 自分のためなら二度と手にすることのなかったはずの刀を、男は再び抜き放つとき、その壮絶な光景から目を逸らすことはできない。人が火として行き着く果てに、はたして何が見えるのか…?


 大概のハリウッド・リメイクものが、オリジナルと比べて評価が落ちるように、異国のものを翻案してドラマや映画を作ると違和感が残るものが多いが、この映画はそれをあまり感じさせない。


 本作の舞台は、オリジナル版と同じ年代の北海道。このためオリジナル版で描かれた黒人差別はアイヌ差別に切り替わった。戊辰戦争を背景に和人とアイヌの対立構造や、登場人物それぞれが抱える過去などを複雑に織り込め、重厚な物語に仕上げている。


 オリジナル版の役者に比べ、こちらの年齢層がちょっと若すぎる(特に佐藤浩市)かなとは思ったが、主役を渡辺謙に据えるなら、このキャストはちょうどいいかもしれない。ベテラン勢は勿論だが、柳楽優弥と忽那汐里の若手2人が、意外といっては失礼かもしれないが、良かった。


 タイトルの“許されざる者”とは誰のことか? 善とは何か、悪とは何か。この映画の登場人物は全て何らかの“罪”を背負って生きており、またその罪な行為が連鎖することによってストーリーが進んでいく。ただ、オリジナル版よりそれが明確に描かれたことによって、ラストがオリジナル版とは全く異なる重いラストになってしまったのは、賛否両論あるところだとは思うが、“罪”に対する日米の考え方の違いもあるが、こちらの方がよりリアルで良い。たとえ、元はそれほど悪人でなくとも、1人殺せばそれは“罪”だ。たとえ拭い去ったとしても、一生背負っていかなければならないのである。久々に考えさせられる映画であったが、いやはや人の宿業というものは、誠に根深いものですねェ。


私の評価…☆☆☆☆★

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